井戸端の会話で聞いたことだが、誰もが自ら受けてきた教育がデフォルトになっている。だから、街場を賑やかす教育論は自らの経験を肯定しているか、否定しているかのどちらかであると。合点がいく話だった。自分自身の考え方を振り返ってみても、生まれ育った地域と時代が基点になっている。そして、確かに地域や時代で受けてきた教育がわずかに、ときに大きく異なるのだ。
そして今回はキャリア教育がテーマである。1983年生まれの私は形式的なキャリア教育を受けた経験がない(身に覚えがあるのは、社会科見学での銀行やゴミ焼却場の見学などである)。だから、肯定することはできず、否定もしづらい。「私たちの頃にはそんなカリキュラムなかった」としか言えない。しかし、教育から社会に一歩踏み出したテーマであるため、べらべらと自分の見解を述べたくなる危ないものである。
そんなキャリア教育が文部科学省による政策になり、本格化したのは、2000年代に入ってからである。キャリア教育はわかりやすくいえば、子どもや若者に「夢」を持たせることを教育の目的とする政策である。政策としてのキャリア教育をより理解するためには、時計の針を戻し、経緯をたどる必要がある。
1980年代、画一主義的で没個性的だった(そしてそれが批判の的だった)日本の教育が、個性重視の教育に急転回した。1990年代、バブル崩壊後、就職氷河期が続き、若者の間ではフリーターが増え、経済的な格差が広がり始めた。一方、政治家や経営者は、働く意欲に乏しい若者が増えたと都合のよい解釈をした。若者には「夢」が必要だ、経済活性化の起爆剤として、若者よアントレプレナーシップを持て、と的外れな発想が叫ばれる、いわゆる若者バッシングの風潮が生まれた。この風潮に押されてできたのが、キャリア教育である。
キャリア教育は文科省を超えた政府レベルの取り組みであった。政策が意図していたことは、急増するフリーター問題への対応であった。それを念頭においたキャリア教育が小中高の学校で行われた。どうもねじれた経緯でスタートしているのだ。
実際に行われているキャリア教育は、自己理解、職業理解、キャリアプランの作成の3つの主要分野がある。この3つは「夢」や「やりたいこと」を見つけ、追わせることに向かっている。夢を追えば、フリーターが逆に増えそうなのだが、政策の意図は現場で実行されるなかで黙殺されたのだろうか。
また、キャリア教育は偏差値輪切りの進路指導に積極的でなかった良心的な教員にとって、渡りに船だった。教育論としては、明らかに偏差値よりも夢のほうが正論であるから、それを堂々と学校の中で行える契機となった。しかし、光には陰がある。「夢を強迫する」社会である。夢を持つことに過剰な価値をおき、称揚し、「夢を持て、あきらめるな」とあおる社会全体の空気感に、子どもたちはプレッシャーを感じている。
本書の魅力の1つは過去と他国と比較を行うことで、当たり前に行われるようになっているキャリア教育を冷静な目線で見つめることができることだ。ほかには実践的な夢との距離感の取り方や向き合い方だ。夢探しに疲れた中高生を指南することにすぐに応用できそうだ。夢をあきらめきれずに疲弊している大人にとって、よき処方箋になる内容だ。
最後に、キャリア教育は政策として効果はあったのだろうかということで締めくくりたい。ベネッセが行った調査によれば、将来なりたい職業を持つ生徒はキャリア教育がはじまった2004年とその5年後を比較すると小学校、中学校、高校すべての段階で減っている。また、関西方面のとある調査では、「youtuber(ユーチューバー)」がなりたい職業にランクインしたというニュースを耳にした。時代が変わるスピードが上がれば上がるほど、子どもたちのなりたい職業や夢に、大人がついていくことが難しくなる。そんな困難な状況下で、夢とやりたい職業を持ちづらい子どもたちに、夢を持たせようとする授業が展開される学校現場、そのギャップは学校で埋めるべきことなのか、そして埋めることができることなのか。議論を生みやすい現状のなかに、ピーター・ティールのいう「賛成する人がいない、大切な真実」が隠れているかもしれない、大げさかもしれないが。
参考: ベネッセ総合教育研究所 第2回子ども生活実態基本調査報告書
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著者紹介
書籍情報:
価格: 821円
著者:児美川 孝一郎
新書: 192ページ
出版社: ベストセラーズ
発売日: 2016/4/9
山本尚毅
1983年石川県根上町生まれ。2009年から仲間と会社(株式会社Granma)を創業、日本メーカーの途上国のネクストマーケット(BoP市場)進出を支援。その傍ら、展覧会(世界を変えるデザイン展・未来を変えるデザイン展)を企画・開催し、人の行動変容(Behaivor Change)に興味関心を高める。現在は学び領域の組織に身を移し、アセスメント・評価と未来の学びの研究開発及び商品企画を担当している。その他、HONZで書評を執筆中。