人間は生命体として、止まることの無い時間の中で生きています。
その人生の中で、一定のフレーム毎にその枠の中での理想的な人生の歩み方を社会、国が提案してきたのが従来型の教育制度だと言えます。
幼保一体、幼少一体、中高一貫、高大接続など、連携の取り組みもある一方で、従来的な省庁や教育委員会の枠組みでは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学を含めた高等教育、といった単位で担当や部門があり、教科書なども小中高の検定制度により決まっています。3年、6年といった単位で、年齢別に定めれれた明確な教育目標というのは、広くあまねく一定の学力を保証するという大きな役目は果たしてきたと言えます。一方人生というのは高校や大学を出た後が8割の期間となる可能性の高い今、卒業後に市民として活躍する資質を育むための学びや教育のあり方といった視点も必要なのでは無いでしょうか?
まさにこのような視点を持ち、近視眼的な視点から離れ、それぞれの時期の学びをタコツボ的に考えるのではなく、「人生100年時代に、人や組織や社会の可能性が最大限花開く、人一生の育ちとは何か?」という大きなテーマに取り組まれた、未来教育会議さんの研究レポートからの気づきを本日は紹介します。この研究活動は、2030年の未来シナリオをマルチステークホルダーで研究し、発信されている未来教育会議さんによる取り組みです。
未来教育会議では、人一生の育ちを直線ではなく螺旋状に捉え、螺旋階段を上がっていく度に3つの資質が育まれるという前提を置かれています。
3つの資質とは、自分を知る、他者と関わる、世界を理解し働きかける、という3点で、発達段階に応じて、これらの資質の複雑性や質が変わってくるという考え方です。
本レポートでは、発達段階毎の学びで支援できることを提案していますが、まず幼保期の育ちで着目すべきことは、事例となるデンマークの幼稚園です。1952年から続く森の幼稚園では、幼稚園を「民主主義を身につけるための必要な力」を教える場所だと定義していることです。
日本の幼稚園では、子供が子供らしくいれることや、子供の興味関心に沿った形で社会性を育む活動は充実していると思いますが、「民主主義を身につけるための必要な力」と定義されている園は今まで出会ったことがありません。子どもを社会から隔離した存在として扱うのではなく、民主主義社会を守るためには、幼児期から連続して資質を育もう思いが現れている言葉ですよね。
今日本でも注目されているイタリア発のレッジョ・エミリアアプローチも、民主主義社会を守っていくために必要な探求する力を育む市民教育なので、ヨーロッパでも特に民主主義を大切にしている国に共通する思いなのかもしれません。日本のように、戦後ある意味民主主義という体制を上から与えられた国には不足している価値観だと思いますが、我々も今後民主主義社会を守っていく、しかも、公的な支援だけに頼らず民力で社会を維持していくというためには、必須となる資質だといえます。
また資質の成長は螺旋階段で連続しているので、幼児期に自分が認められ、他者は違う意見を持っているということをしっかり受け止める経験をしている子供達は、小学校以降により複雑な問いへの対話に取り組む事が出来るのでしょう。小中学校において、個々が認められる中で、対話による葛藤解決や合意形成の体験を豊富に積んだ子供は、より深く自分について理解をすることが出来、高校生になった時に、進路の方向性についてより具体的なイメージを持ちやすいのでは無いでしょうか?日本の高校生の自己肯定感は、下記の調査にも見られる通り、国際比較において低水準と言われていますが、幼小中学校期に、他者と関わる中で自己認識を深められた子供達が増え、社会に貢献する方法の実感値が上がることで、自らの価値に気づくことができるのだと思います。
本レポートでは、高校生への支援として、「実社会に実践的に関わる」ための根っこだと提言しています。まさに、FutureEdu が上映活動を続けているMost Likely to Succeed の舞台となるHigh Tech High も、地域の企業や自治体などと協働したり、地域住民に向けたプロジェクトを実施することで、常に実社会に実践的に関わる学びを実施しており、結果的に貧困層が半数の学校にも関わらず、98%の学生が大学に進学し、86%が卒業するという結果を出しています。実際に子供達の話を聞いても、将来への具体的なビジョンを持っている学生が多く、驚いたものです。
そして、大学・大学院の役割に対して、新たな視点を提案しているのも興味深いポイントです。今までは研究機関としての位置付けが強かった大学の役割を、産官学民連携を推進するリーダー的な存在として再定義することで、俯瞰的な視野や知識を提供する存在としての大学、大学院、産官学民連携を推進する市民としての大学生、大学院生という新たなイメージが見えてきます。今まで大学というと、専門分野の研究機関の集積体で、社会変革をリードする存在という位置付けで捉えてませんでしたが、社会に山積する複雑な課題を産官学民連携で解決していくには、大学がよりシステム変革の舵取りを行なっていくことが求められているのでしょう。
また今までは、大学、大学院までが学ぶ期間と捉えられていましたが、人生100年時代に求められる者は、必要に応じて自ら知識やスキルをアップデートする能動的な学習者が求められています。本レポートでは、GEでは会社が提供する研修が無くなり、すべて社員が能動的に学ぶ体制に切り替えたという事例も紹介されています。社会に出た時に能動的に学べるには、子供の時から学ぶ姿勢を身につけておくことが大切ですよね。その学ぶ姿勢が、「言われたからやる」「ご褒美があるからやる」では、社会に出た時に、自らの声に耳を傾けて、今自分が必要だと思う学びに自ら辿り着くことは困難です。
本レポートでもクアトロヘリックスという2030年の理想的な社会のシナリオが提案されていますが (上の図を参照)、高齢化、税収削減、少子化などこれから訪れる数々の社会課題に明るく挑むための最大の鍵は教育だと言えると思います。与えられた、正解のある問いをこなす20世紀的人材は今後AIに置き換えられていきますが、AIは問いを立てたり、共感力を持って、社会の課題に自ら取り組むことはできません。我々がサステイナブルな社会作りを目指していくために、一生における子供時代の学びの優先順位を改めて考えてみませんか?
(後書き)
我が家には小・中学生がいますが、今の家庭での優先順位は、子供達が打ち込みたい事への徹底的なサポートです。優先順位を明確にした事で、暗記や一時的にしか定着しなさそうな学びは切り捨てることにしました。また、意思決定の多くは子供に委ねる一方、対話によりお互いの意見のぶつけ合いや交渉も行なっています。「XXしなさい」という事もありますが、それは睡眠時間など、生活のリズムを守るために最低限必要なレベルに抑えるよう努力しています。まだまだ道半ばではありますが、高校までの間に子供達が、自分についてよく理解する事で、高校生以降に他者や社会と積極的に関われるようになってほしいと願っております。